close









 関東の清水寺というふれこみは嘘ではない。

規模ではすっかり負けているが、

それをふまえても景観はすばらしいものがある。

天気がよい時には、霞ヶ浦、鹿島灘から太平洋まで

見晴らすことができるという。

当然、筑波山も見ることができる。

そういう意味で清水寺よりも景観はよいかもしれない。

手すりが低いので、高所恐怖気味の人は、

あんまり端に寄らないようにしたいものだ。

 平安時代の西暦807(大同2)年に開かれたそうで、

最初は法相宗、鎌倉時代に真言宗となって、

その後天台宗となった。今も天台宗。

懸造りといって、岩棚の上に基礎となる木を積み上げて、

その上に本堂が建っている。要は、清水寺と同じような構造。

 余談だが、常陸太田市に西光寺という寺があるが、

そこではないので、間違えないように注意。































































● 茨城県指定文化財建造物 願 住民安堵、交通安全、五生安心
   

由来・平安初期の大同年期、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、

もとは法相宗であったが、中世は真言宗となり、今は天台宗である。

自然石の観音像を本尊とするこの堂宇は、関東の清水寺と称され、

建坪五十七・六m2 総高二十二m 脚高十一mの懸造り 

自舎方三間寄棟造りの珍しい建物である。

現在の建物は江戸時代末期のものであり、

昭和四十五年九月由緒あるものとして県の文化財の指定を受けた。

この堂宇からの眺望はすばらしく晴天の日は霞ヶ関より鹿島灘や

太平洋も望むことができ、

筑波の紫峰を右にして四季の織りなす変化、

樹間よりかいま見る八郷盆地の景観は京都をしのぐものがある。


経緯・現在の建物は安政六年(一七七七年)に焼失、

寛政三年(一七九一年)に再建したものであるが堂宇の腐朽が甚だしく

保在のため昭和四十六年八月修理委員会

(委員長八郷町長関野信平・委員十名)を設け、県費・

町費の補助金と寺側の一部負担をもって二ヶ年の継続事業とし

昭和四十八年三月建立当時の威容を現わした。


arrow
arrow
    全站熱搜

    なちぇん 發表在 痞客邦 留言(1) 人氣()